横浜地方裁判所 平成8年(ワ)2391号 判決 1998年2月25日
原告
北條一虎
右訴訟代理人弁護士
湯沢誠
同
左部明宏
被告
株式会社コクド
右代表者代表取締役
山口弘毅
右訴訟代理人弁護士
辻本年男
同
権田安則
被告
大渕功
右訴訟代理人弁護士
岩橋宣隆
主文
一 原告の請求をいずれも棄却する。
二 訟訴費用は原告の負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告らは原告に対し、連帯して金四一二四万一八七六円及びこれに対する平成六年二月一六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、テニスの練習中に他の練習生の打ったボールを顔面に受けて負傷した原告が、右練習生及びテニス教室の指導コーチの雇用主に対し、不法行為(民法七〇九条及び七一五条)による損害賠償を求めた事案である(付帯請求は、不法行為日からの遅延損害金)。
一 争いのない事実等
1 原告及び被告大渕功はいずれも被告株式会社コクド(以下「被告コクド」という。)が経営する横浜市金沢区の杉田ゴルフ場テニスコートにおいて開かれていた被告コクド主催のテニス教室の練習生であった。
なお、原告及び被告大渕が所属していたクラスは、右テニス教室のうち最上級のクラス(特別クラスないしトーナメントクラス)であり、通常指導員一名及び練習生八名で構成されていた。原告は、平成元年ころからこのクラスに参加していた。また、被告大渕も約二〇年のテニス歴を有していた。
2 平成六年二月一六日午後八時四五分ころ、右テニスコート四番コートにおいて、被告コクド従業員坂本和孝(以下「坂本コーチ」という。)を指導員とし、原告及び被告大渕を含む七名の練習生が参加しているテニスの練習が行われていた際、コート内で練習をしていた被告大渕の打ったボレーショットが、コート脇のベンチに腰掛けていた原告の顔面を直撃し、原告が右眼球を負傷する事故が発生した(以下「本件事故」という。)。
3 本件事故の態様は以下のとおりである。
(一) 当時、坂本コーチの指導のもとに、プレイヤーがネットを挾んで二名ずつ順番にコートに入り、試合形式で打ち合う練習が行われていた。(なお、本件事故の際、坂本コーチがコート外から球出しをしていたのか、それともプレイヤーの一員としてコート内でプレイに参加していたのかについては、当事者間に争いがある。)
(二) 原告は、自分の練習の順番が終わると、コート脇北側のサイドラインに沿って置かれていたベンチ(以下「本件ベンチ」という。)に腰掛け、下を向いてラケットのガットを調整していた。
(三) 被告大渕は、原告が腰掛けていた側のコートのネット前に位置し、相手方コートからのボールをボレーで打ち返す練習をしていたが、被告大渕が対面するコートのエンドライン付近にいた練習生からのストロークをボレーで打ったところ、ボールがそれて、被告大渕の左斜め後ろに腰掛けていた原告の顔面(右眼球)を直撃したものである。
(四) 右練習中、坂本コーチあるいは被告大渕から原告に対し、原告が腰掛けていたベンチから待避し、あるいは打球に気をつけるようにといった具体的な指示・注意はなかった。
二 当事者の主張
(原告)
1 坂本コーチは、練習中は練習生が安全な場所で休憩するよう指示、監督するべき安全配慮義務があったが、ボールが飛来する可能性が高いベンチに座って待機するよう指示し、原告はこれに従った。
また、坂本コーチは、本件ベンチを含むコート北側サイドライン付近に練習生が待機しないよう注意、指導すべきであり、仮に練習生が待機していた場合には、練習を中止してその練習生に他の場所で待機するよう指導すべきであったのに、これを怠り、漫然と練習を継続した。
指導者は、単に技術のみでなく、練習の安全面についても注意、指導すべき義務があり、これは練習生が初級者であろうと上級者であろうと変わるものではない。
2 被告大渕は、自己の打った球が原告の腰掛けていた本件ベンチの方向へ飛んでくる可能性を十分予測できたものである。
このような場合には、被告大渕には、危険を避けるため、原告に対し、その場から待避するか、打球に注意するよう指示・助言する義務があり、原告がその場から離れるまでは練習を一時中断してもらうよう他の練習生や指導員に要請するか、危険のないプレーをする(ごく軽くボレーをする)義務があったのにこれを怠った。
3 原告の待機位置はボールの飛来する危険性の高い場所であり、坂本コーチ及び被告大渕の右過失と原告の本件事故とは相当因果関係がある。
4 原告は、本件事故により右外傷性瞳孔麻痺、右隅角解離等の傷害を負い、視野狭窄、視力低下等の後遺症が生じた。
その結果、原告は次の損害を被った。
(一)治療費等 七八〇〇円
(二)休業損害等
一四七万六八三三円
(三)逸失利益
三三二四万七六九〇円
(四)慰謝料 二三〇万円
(五)眼鏡代 二〇万九五五三円
(六)弁護士費用 四〇〇万円
(被告コクド)
1 坂本コーチは、原告主張のような指示はしていない。
原告(プレーの順番を終わった練習生)は、コートのエンドラインの後方に位置して待機すべきであった。ただし、坂本コーチは、当日原告及びその他の練習生に対し、待機位置について格別指示はしていない。練習方法から暗黙のうちに決まっていた。
2 当たり損ないのボールがそれたとしても、ボールさえ見ていれば容易に回避できるものである。
それたボールに備えるべき義務を負っているのは待機中の練習生自身であるのに、原告はこれを怠って下を向いていたものである。
3 テニス自体の危険性がさほど高くないこと、練習方法も通常のものであること、原告はテニスの上級者であったこと、その判断能力等からすれば、本件において、坂本コーチには原告に対する具体的安全配慮義務があったとはいえない。
4 原告の腰掛けていたベンチは、練習生の待機位置として、他の場所に比較して特に危険性の高い場所であったとはいえない。
5 原告の損害についてはいずれも不知。
(被告大渕)
1 坂本コーチは、原告主張のような指示はしていない。
2 被告大渕は、プレー中原告の待機位置については気づかなかった。右待機場所は被告大渕の左斜め後方であり、全くの死角である。
3 被告大渕のボレーショットはミスショットであったとしても、通常の練習で起こりうる範囲のものであり、ことさら被告大渕に落ち度のあるミスではない。
4 スポーツに参加する者は、それにより通常起こりうる危険は承知の上で参加するものであり、加害者に著しいルール違反があるような場合を除き、不法行為は成立しない。
5 被告コクドの主張4、5に同じ。
三 争点
1 坂本コーチの過失について
(一) 坂本コーチは、原告にベンチで待機するよう指示を出したか、仮にそうであれば、その指示は指導員として不適切なものであったか。
(二) 坂本コーチは、事故時の原告の待機位置について認識していたか、あるいは認識すべきであったか、その場合、指導員として原告に待機位置等につき指示を与えるべき注意義務があったか。
2 被告大渕の過失について
(一) 被告大渕は原告の待機位置につき認識していたか、あるいは認識すべきであったか。
(二) 仮にそうとして、被告大渕に原告に対し待避の注意を与え、練習の中断を要請し、あるいはボレーを軽く打つべき義務があったか。
3 坂本コーチ及び被告大渕の行為と本件事故との因果関係
(一) 原告の待機位置は、(順番待ちの練習生が現実に待機可能な場所の中で)一般に事故発生の蓋然性(ボールの飛来の危険性)の高い場所であったか。
(二) 原告自身が下を向くなどせず、ボールを注視していれば、本件事故は回避できたか。
4 原告の損害の発生及びその額
第三 争点に対する判断
一 本件事故の態様及び経緯
証人坂本、原告、被告大渕各本人、甲一三、乙三及び弁論の全趣旨によれば、本件事故の態様及び経緯に関し、前記認定事実のほか、次の事実を認めることができる。
1 原告らが本件事故当時所属していたクラスは、被告コクド主催のテニス教室の約一〇〇〇名の練習生のうち最上位の約五〇名が参加する特別上級クラスであり、本件事故当日の練習に参加していたメンバーはその中でも最もレベルの高いグループであった。
2 当日の練習は午後七時一五分から午後九時までの予定であり、坂本コーチの立てた計画に従い、数種類の練習メニューをこなし、本件事故は練習も終わりに近づいた午後八時四五分ころに発生した。
3 本件事故当時は、坂本コーチ及び原告、被告大渕を含む七名の練習生が参加して、別紙図面表示のとおり、四名が順次ローテーションしながらコートに入り(以下、位置関係は別紙図面のそれによる。なお、「■指導員」と表示された位置に坂本コーチが入っていたのか、それとも練習生が占めていたのかについては関係者の供述に食い違いがある。)、坂本コーチが「生徒1」にボールを出し、これを「生徒1」が「生徒6」の方向へ打ち返し、そのボールを「生徒6」がボレーで相手方コートへ打ち返す(その後はラリーが途切れるまで試合形式でボールを打ち合う)方法による練習(以下「本件練習メニュー」という。)が行われていた。
4 原告は、当日の本件練習メニューにおいて被告大渕の次の順番であったため、「生徒6」の位置にいた大渕の後にその位置に入るため、「生徒5」と表示された辺りにある本件ベンチに腰掛けて待機していた(なお、本件ベンチがコートからどの位の距離にあったかについては当事者間に争いがあるが、この点は後記のとおり争点の判断に影響しない。)。
坂本コーチは、当時原告が本件ベンチの位置にいたことを認識していたが、被告大渕はそれに気づかなかった。
5 坂本コーチは、この練習方法において、待機中の練習生の待機位置については特段の指示は出していなかった。
「生徒6」に入るため待機中の練習生は、エンドラインの後方(別紙図面の「NO.4」と記載のある付近」で待機するのが通例であったが、中には他の練習生の練習を見るため、本件ベンチあるいは審判台の付近に来て待機する練習生もあった。
6 「生徒6」の位置にいた被告大渕が「生徒4」からのボールをボレーで打ち返そうとしたところ、ラケットのフレームに当たり、ボールがそれて原告の顔面を直撃した。原告は、そのとき下を向いて自分のラケットのガットを調整しており、たまたま顔を上げようとしたとき、被告大渕の打ったボールが(バウンドせず)原告の右眼球あたりを直撃したものである。
7 このとき、坂本コーチ及び被告大渕は打球を目で追っていて、原告の顔面に当たるのを目撃した。原告自身は被告大渕の打球は見ておらず、自分の顔面に当たった時点で初めてそれに気づいた。
8 原告は、本件事故により右眼球から出血し、救急車で病院に運ばれた。
二 争点1(坂本コーチの過失)について
1 前記認定のとおり、坂本コーチが原告に対し、本件ベンチで待機するよう指示した事実は認められず、問題となるのは、原告が本件ベンチで待機していたことを認識していた同コーチが、その待機位置について適切な指示をすべきであったかといった点である。
2 そもそもテニス教室というのは、コート及びその周辺という限られた空間の中で、複数の練習生が技量の向上を目指して練習をするものであるから、練習に参加している以上、現にプレーをしている以外の練習生もボールの飛来する可能性のあるコート周辺で待機せざるを得ないことは当然である。したがって、各練習生は自ら適切な待機場所を選んで、自己の安全を確保し、かつ、プレーの妨げにならないように配慮すべき義務があるというべきである。
この点は、本件テニス教室の受講規約(乙二)にも、受講生の義務として同趣旨が明示されているところであり、また、初心者や学童などと異なり、本件原告らのように一定のキャリア、技量を有し、最上位のレベルのクラスに属する練習生の場合はなおさらである。
本件練習メニューは当日初めて行われたものではない(証人坂本)から、原告自身もその練習内容については十分認識していたはずである上、自己のプレーの順番を待つ練習生がどの位置において待機するかはその練習生自身の判断と責任において決せられるべきものであって、現に練習を指導しているコーチはそのプレーにこそ細心の注意を払うことが要請されているのであるから、待機中の練習生の待機位置などについては、(ことに本件のような上級者クラスにおいては)各練習生自身が適切に対処するであろうことを期待してよく、(プレー中のコート内に立ち入るなど明らかに不適切な行為を発見したような場合を除き)事細かな指示を与えるべき注意義務はないというべきである。
また、本件練習メニューが、原告ら参加した練習生の技量からして格別危険ないし不適当なものではなかったことも明らかである。
3 以上によれば、坂本コーチが原告に対し、待機位置について格別指示をしなかったとしても、同コーチの過失を認めることはできない。他に同コーチの過失をうかがわせる証拠もない。
三 争点2(被告大渕の過失)について
1 原告は、被告大渕が原告の待機位置を認識した上、適切な対処(原告に適切な指示をする、練習を一時中断してもらう、あるいは危険のないようなプレーをする)をすべきであったのに、これを怠ったと主張する。
2 しかしながら、本来練習とは技量の未熟を前提とし、その向上を図るために行われるものであるから、ルールを遵守してまじめに練習に取り組んだ結果、ミスをしたとしても直ちに過失があるとはいえないことは明らかであり、被告大渕にミスショットをしない(あるいは危険のないようにことさら弱いボールを打つ)注意義務があったなどとはいえないことは自明の理である(そのような義務を認めることは、練習という行為そのものを否定するに等しい。)。本件事故当時、被告大渕がふざけてショットしたり、コーチの指示に従わないなど、ことさら不適切な練習態度であったことをうかがわせる事実もない。
3 また、前記認定のとおり、本件練習メニューが妥当なものであり、その際の待機位置については各練習生の判断に委ねられるべきものであったと解されることからすれば、仮に被告大渕が当時原告の待機位置について認識していたとしても、自ら指導コーチに申出て練習の中断等の措置を採ってもらうべき義務があったとは認められないし、まして、練習生の一人に過ぎない被告大渕が、同僚の練習生である原告に対して自らその待機位置などについて指示をすべき義務があったともいえない。
4 以上によれば、原告の主張する被告大渕の過失も認められない。
四 争点3(因果関係)について
原告の主張は、その立論の前提として、原告が本件事故当時待機していた本件ベンチ付近は他の場所よりボールの飛来する危険性の高いところであったことを主張するものであるが、次の順番を待つ練習生の待機場所としては、いずれにしてもコート周辺に限られるから、必ずしも本件ベンチ付近が危険性の高い場所であったとは断定できない。
また、原告が本件事故当時下を向いていてボールの軌跡を追っていなかったことは前記認定のとおりであるが、コート周辺において待機する練習生としては、プレー中のボール及びプレイヤーの動向を常に注視して自ら危険を避けるべき義務があったと解されるところ、原告が右義務を尽くし、ボールの軌跡を注視していれば、その直撃を回避することができた可能性は高いと認められるから、本件事故は原告自身の不注意に起因するところが大きかったというべきであり、原告の主張は因果関係の点においても立証されているとはいえない。
五 よって、原告の請求はいずれも理由がないから棄却することとし、主文のとおり判決する。
(裁判官曳野久男)
別紙図面<省略>